瀬戸内・愛媛旅行で撮ってきた写真を貼っていくよ その2(別子銅山)
5月に行った瀬戸内・愛媛旅行で撮ってきた写真のなかから気に入ったものを、何回かに分けて貼っていっています。
今回は愛媛県新居浜市の山あいに位置する別子銅山の跡地へ行ったときの写真です。
別子銅山 端出場地区
別子銅山の跡地は、現在では「マイントピア別子」と名付けられた観光地となっていて、国道沿いの端出場ゾーンと山奥に分け入った東平ゾーンに分かれている。
道の駅にもなっている端出場のほうには、レストランや温泉入浴施設、鉱山鉄道や観光坑道があり、テーマパークのように整備されているけど、その分、往時の遺構は少なくてカメラを向けたくなるような場所も少なめ。
観光坑道の入り口。内部には鉱山の様子を再現したジオラマがあったり、採鉱の作業を体験できたり、鉱山で使われていたゴンドラに乗れたりと、なかなか楽しむことができた。
鉱山鉄道の鉄橋。現在も観光用のミニSL列車が走っている。
かつての坑道の入り口。くすんだレンガとコンクリートのアーチが絵になる。
こちらの現在は使われていない錆びた鉄橋にも、鉱山鉄道が走ってたんだろうか。
別子銅山 旧水力発電所
端出場ゾーンのマイントピア本館から川を隔てた場所にある、明治45年建築の旧水力発電所。
レンガ造りの重厚な建築は、古い教会を思わせるような佇まいで、荘厳さすら感じる。
別子銅山 東平地区
別子銅山の一番の見どころは「東洋のマチュピチュ」と呼ばれる東平(とうなる)地区。
国道を外れて細い山道を進むこと約5km。標高750mの人里離れた山間に、かつての繁栄を伝える遺構が佇んでいる。
鉱山施設の遺構を見下ろす。こんな山奥に突然このような大規模な廃墟が現れるとは。
この周囲には鉱山関連施設だけでなく、社宅や学校、娯楽場などの生活関連施設が建てられ、昭和43年の閉山まで賑わったのだとか。
明治38年に完成したという貯蔵庫の跡。
感慨を口にしたくても、「うおー」とか「すげー」とかの単純な言葉しか出なくなる。
朽ちた廃墟に咲く花。色鮮やかさが一層際立つ。
索道停車場跡。
なんとも言い難い哀愁が漂う。
よくポスターなどに使われている、赤いレンガの遺構が並ぶ場所。
天気は悪いけど、こういう廃墟には爽やかな青空よりも重い曇り空のほうが似合っているように思う。
小マンプ。短いトンネルの内部には鉱山運搬機器が展示されている。
第三通洞。鉱山跡にしては派手目の門の奥は暗くて全く窺うことはできず、何やら漠然とした恐怖のようなものを覚える。
この他にも幾つかのトンネル跡が遺っていた。
別子銅山 第三発電所跡
東平地区の奥に進んだところに建つレンガ造りの第三変電所跡。
周りに何もない山の中に、こんな立派なレンガの建築が立っているというのは、なんともシュールな光景。
廃墟なのに珍しく立ち入り禁止になってなかったので、内部に入ることができた。
洒落た洋館のようなアーチ状の窓が並ぶ。
変電所だったそうだけど、どこか生活感のようなものが漂う。
というわけで
次回の記事では、「伊予の小京都」大洲や、江戸から明治にかけての街並みが残る内子に行ったときの写真を貼っていきたいと思います。
では、また。